「行動デザイン」を学ぶ第21回:現代人が時間と上手に付き合うための処方箋
前回、時間は人間が作り出した道具である、という話に触れた。現代人は、そうした時間といかにうまく付き合うといいのだろうか?
現代人は時間に追われて働いている
かなり大昔の映画だが、チャーリーチャップリンの「モダン・タイムス」(1936年公開)という映画をご覧になったことはあるだろうか。ベルトコンベアの前で組み立て工として働く主人公は、常に時間に追われ、とうとう時間に追い越されて自分も部品と一緒にベルトコンベアの上に乗って流されてしまうというシーンがある。
チャップリンが描いた近代の本質は、現在でも大きくは変わっていない。近代的な自動車工場でも、最終的な組み付けの工程は人間が作業しており、マニュアルで決められた時間内に作業を行えないとラインが止まり、厳しく注意される。それはハンバーガーショップの厨房でも同じである。我々は顧客として、安い値段でもっと迅速なサービスを、と常に要求する。だから、そうした受け手の無茶な要求を満たすサービス企業は高い支持を集めているわけだが、一方で我々はそうした現場で、常に時間に追われて働く送り手でもある。
時間という「道具」に支配されず、そこから抜け出すためには、スマートフォンを捨てて、無人島のような時のないリゾートに引きこもる以外の方法は存在しないのだろうか?
環境が持つ外因性リズムに左右される
近年の「時間生物学」の研究では、時間という概念の本質がよく説明されている。それによれば、時間は3つの前提で成立している。つまり、人(生体)にはそもそも、それぞれ固有の内因性のリズムを持っており、しかもそのリズムは環境が持つ外因性リズムの変化で変調する。そして個人内に獲得された固有のリズムは、遺伝情報となって次世代に受け継がれる、という前提である。この前提でもっとも重要なのは、環境が持つ外因性リズムだろう。
前回の連載(第20回)で、太陽や月など天体のリズムの影響について触れたが、環境が持つリズムには人間社会が作り出したさまざまなリズム(周期)が存在する。カレンダー(暦)は、あるコミュニティが社会生活を営むための一種のプロトコル(手続きや規格)である。逆に言えば、コミュニティが成立するためにはカレンダーに基づく周期に対して、コミュニティ成員が同期する必要がある。例えば、安息日である日曜日に仕事をすることは、キリスト教社会では本来は許されないルール違反なのだ。
カレンダー通りに仕事をする(つまり、休日には休む)というデフォルトを活用し、違うルールのカレンダーを組織内で共有すれば、組織の働き方についてのメンタルモデルを変更できるかもしれない。筆者が以前、博報堂行動デザイン研究所時代に考案した「世界の休日カレンダー」は、そうした仮説から生み出されたプロトタイピングである。
このカレンダーには、世界のさまざまな休日が記載されている(例えば、2月23日はロシアの「祖国防衛の日」で、ロシアの国家的休日でカレンダーは旗日として赤くなっている。「祖国防衛の日」は1918年にソ連軍がドイツ軍に勝利した記念日で、女性が軍人や一般の男性にプレゼントを贈る日になっている。今回のロシアによるウクライナ侵攻がその翌日の2月24日に開始されたことは、おそらく偶然ではないだろう)。
3月20日はスリランカの満月祭だった(ただし2019年の場合。満月祭などは年ごとに変動する)。このように世界には、月齢や曜日によって日付が変動する祝祭日が多いので、毎年、世界の休日を調べなおさないとならないのが大変なのだが、とにかく世界の休日を重ね合わせてみると、なんと年間279日が休日となった。
カレンダーが真っ赤なら休みやすい?!
こんな真っ赤なカレンダーを組織内でみんなが卓上に置いたら、「最近、ちょっと休んでないなあ」とか「明日は“水祭り(ミャンマーの祝日・4月13日)”だから、休んで海に行こうかな」といったムードが高まり、結果的に「休みを取りやすい組織に変わるのではないか?」と考えて、「働き方改革」のために制作した行動デザイン・アイデアである。
他にも、前回の連載で紹介したマヤ暦など、月齢入りのカレンダーも存在している。そうした「今の職場を支配する外因性リズム」に対するオルタナティブなリズムをうまく共存させ、活用することが、時間的ストレスを緩和する処方箋になるのではないだろうか。
日本でも、ローカルでは今でも旧暦は社会に息づいている。例えば、静岡ではひな祭りは4月3日(旧暦の3月3日に相当)である(他にも北陸など新暦4月3日に祝う地域は少なくないようだ)。私は静岡県民ではないが、お雛様を飾る時は新暦で、しまう時は旧暦、つまり4月3日以降とすることで、飾っている期間を長く取っている。というのは言い訳で、単に片づけるのが面倒なのでつい出しっぱなしになっているだけなのだが…
このように、異なるカレンダーをうまく活用して自分が楽に生きられるようにする、という方法は他にもいろいろ応用が効きそうだ。
代謝リズムとも相関性がある「時間の感覚」
こうした柔軟な応用が効くのは、実は時間が絶対的・固定的な存在ではないからだ。例えば、加齢によっても時間の感覚が変化することが知られている。これは身体機能、特に新陳代謝の機能低下によるものだそうだ。時間の感覚は、実は、代謝リズムと関係がある。代謝がゆっくりとなると時間は過大評価される。つまり実際には1時間しか経っていなくても何時間も経ったように感じるという。高齢者が、よく「最近はあっという間に1年が過ぎてしまう」「昔のことをついこの前のことのように感じる」というのは、代謝が衰えているからなのだ。
逆に、最近の若い世代の男女が付き合って1カ月も経つと、とても長く(別れずに)付き合っていると感じたりするのは、やはり代謝が良いからなのだろう。こうした時間感覚における、実際の時間とのズレ(乖離)は、代謝以外にも情報処理の負荷にもよるらしい。加齢すると動作はゆっくりと緩慢になり、物事を判断するのも時間がかかるようになる。
午前中で片づけを終わらせるつもりが、夕方になっても終わらないという時に、「気がついたら、あっという間に夕方になってしまった」と高齢者は感じるわけだが、それは実際の時間が、自分が考えているより早く過ぎた(時間を実際以上に過大評価していた)ためなのである。
次回は・・・
行動デザインについて、人間が持つ情報処理のメカニズムに光を当てて紹介する。
國田 圭作(くにた けいさく)
嘉悦大学経営経済学部教授、前・博報堂行動デザイン研究所所長、セカンドクリエーション代表。博報堂時代は大手自動車メーカーをはじめ、食品、飲料、化粧品、家電などのマーケティング、商品開発、流通開発などを多数手がける。
著書に『幸せの新しいものさし』(PHP研究所)、『「行動デザイン」の教科書』(すばる舎)。