「行動デザイン」を学ぶ 第31回:どちらを重視!?「ブランドらしさ」or「カテゴリーらしさ」
今日、ほとんどの発信情報は秒速で受け手に峻別されてしまう。そこで「興味あり」側に振り分けられるためには、その発信元(ブランド)が「何者であるのか?」というシグナルが重要になる。今回は、そのシグナルのあり方という点で、「ブランドらしさ」と「カテゴリーらしさ」のバランスをどうとるかについて、実務的な見地から考察を加えてみたい。
POD(相違点)とPOP(同類点)
いきなりだが、「POD」と「POP」という3文字略語について、何か心当たりがあるだろうか。似た単語があるので紛らわしいが、これらは筆者が考えるブランド・マネジメントの要諦に関わるキーワードである。
ぜひ前回(第30回)と第28回の連載を見返していただきたいのだが、ブランドのマネジメントにおいては「POD(Point of difference:相違点)=そのブランドが他のブランドと異なるものと感じられる点」と「POP(Point of Parity:同類点)=そのブランドが他と同じに見える点」の設定が重要になる。やや乱暴に整理するなら、「POD」が「ブランドらしさ」であり、「POP」が「カテゴリーらしさ」につながると言える。
あなたのブランドがまだ十分、市場に浸透していない状況であれば、「POD」を強調するより、そのブランドがどのカテゴリーに所属するのかを明確にするために「POP」を訴求すべきである。最近、企業からのダイレクトメールは企業名ではなく個人名で発信されることが多いと感じる。個人の名前で来るメールは、企業名での発信よりも「メールらしさ」が強いので、開封してもらえる確率が高いのだろう。これも「POP」強調戦術の1つである。
カテゴリーらしさの難しさ
自社ブランドをポジショニングする際には、並いる競合ブランドのどれとの「POP」を打ち出すべきなのか。もっとも「カテゴリーらしさ」、つまりカテゴリーの典型性を具有したブランドとの「POP」を打ち出せば、カテゴリーの中心近くに自ブランドをポジショニングできる。
一方でそれは、差別化が弱まり競合ブランドの影に埋もれてしまうリスクもある。この兼ね合いがとても難しい。例えば「ごま油」と聞いた時に、中央がくさび形にきゅっとくびれた「かどや」型のボトル形状を想起する人は多いだろう(試しに「ごま油 びん」で画像検索してみてほしい)。これがカテゴリーの典型性である。くびれのない真っ直ぐなボトルに入ったごま油は、おそらくごま油ではない他の種類の油と混同されやすく、「ごま油らしさ」の印象は低くなるはずだ。
では、コーラ飲料ではどうだろうか。同じように真ん中がくびれたボトルをコーラカテゴリーの典型として想起する人は多いだろう。しかし、これは「カテゴリーらしさ」だけでなく、むしろそれ以上に特定のブランドに紐づいた「ブランドらしさ」を表象するアイコンである。コカコーラの意匠は知的財産(立体商標)として保護されているので(2008年5月29日知財高裁判決)、そもそも他のブランドがこのデザインを真似することができないのだが、仮に商標権がなかったとしても、コカコーラとの「POP」を打ち出すことは得策とは言えないだろう。
その点で、コカの実を使わない独自のフレーバーが特徴の「ドクターペッパー」や、100年前のコーラのオリジナルレシピを再現して東京・下落合で製造されているオレンジ色のクラフトコーラ「伊良(いよし)コーラ」などは、「コーラらしさ」(典型性)は低いが、ブランドとしては際立っている。ここで、ペプシコーラをどこにプロットするかが、1番迷うところだ。目隠しテストの味覚評価ではペプシの方がコカコーラより好まれると言われるくらいなので、本来、カテゴリーらしさは十分にあるだろう。
例えば、コカコーラと異なるコーラが「ジャパン」や「BIG<生>」などの派生ブランドで独自性(POD)を高めようとするほど、コカコーラとの差別化は図れるが、消費者が求める「コーラらしさ」が薄まって、「コーラを飲みたい」と思った時に選択肢に入りにくくなるリスクが生じてしまう。これを克服するためには、まず「ジャパン(和風)コーラ」あるいは「生コーラ」という新たなカテゴリーを確立し、その上でそのカテゴリーのNo. 1(典型性と代表性)を獲得する必要があるだろう。
カテゴリーの1番目こそ勝ち筋
アル・ライズとジャック・トラウト(※)は「ポジショニング」の重要性を伝えるエピソードとして、「誰が2番目に大西洋を単独飛行で横断したか?」というクイズを紹介している。1番目が誰かを知っている人は多いはずだ(最近では忘却されているかもしれないが、筆者が子どものころは英雄として伝記も出回っていた)。
※……アル・ライズとジャック・トラウトは書籍『ポジショニング戦略』の共著者であり、共にマーケティング戦略家として有名
さて、正解は「バート・ヒンクラー」というオーストラリア人なのだが、この人は実はイギリス・オーストラリア間単独飛行など、(1番目に単独飛行で横断した)チャールズ・リンドバーグも霞んでしまうほどの数々の偉業を成し遂げた桁外れの冒険飛行士なのだが、ほとんどの人はバート・ヒンクラーという名前を知らない。1番目に飛んだ人に「単独大西洋横断カテゴリーらしさ」を持ってかれてしまったからだ。
では、どうすればいいのか。ライズとトラウトは、「アメリア・イアハートたれ」と説く。イアハートは大西洋を最初に単独横断した女性飛行家である(その後、太平洋上で消息不明となった)。つまり、既存のカテゴリーの中で後発であることに勝算はなく、むしろ新しいカテゴリーをつくって、その中の1番になれば必ず勝てるというのだ。「女性」も「飛行士」も「大西洋横断」も珍しくはない(つまり外れ値や“際もの”ではない)が、「大西洋を最初に飛んだ女性飛行士」という組み合わせはユニークだ。ヒンクラーではなくイアハートになることが、ポジショニング戦略の勝ち筋である。なぜならほとんどの場合、「1番目しか思い出されないし、1番目しか選ばれない」からだ。あなたのブランドは、「イアハート」になれているだろうか。
人間はカテゴリー化を基盤に理解する
さて、数回の連載を通じて「カテゴリーらしさ」の重要性を解説してきた。その理由は、我々の認知・記憶のシステムが「カテゴリー化(分類)」を基盤にしているためである。このカテゴリー分類を手がかりにすることで、我々は未知の対象であってもなんとか理解することができる。初めて見たものであっても、それを何らかの既存のカテゴリーのメンバー(構成員)として意味づけすることができるのだ。
「どこかで見たような気がする」という感覚は安心感、親近感を呼び起こし、また処理流暢性(連載第24・25回参照)が高いことが快感情を生起させ好意につながる。初めての経験でもそうした既視感を持つことができるのは、我々がすべての記憶を“○○の仲間たち(メンバー)”というカテゴリー構造で保持し、常にそれを参照しているからなのだ。
この情報処理プロセスは、ブランドに限らず人間に対しても当てはまる。非常にざっくり分ければ、我々は人間(あるいはその延長線としての企業や組織)を、「我ら(うちら)」と「彼ら(奴ら)」という2つのカテゴリーに区分して認識している。これが社会の分断、さらには差別や戦争など、人類が抱える負の側面の元凶になっていることは間違いない。理念的に「我らと彼らの間には差はない(「彼ら」は、「我ら」でもあるし、我らと彼らは連続的につながっている)」という真理を掲げることは可能だし、実際、賢人はそのような意識に到達しているだろう。
ブランドよりもカテゴリーを宣言!?
しかし、こうした思考は「カテゴリー化」という人の基本的な認知システムを停止させない限り、難しい。我々生命体は、その進化の中で何万年、何億年という時間をかけて、自分に近いもの(血縁や、体に取り込んでもいい食品・栄養素や細菌など)と、自分の外側のもの(他者や、近づくと危険なもの)を分類する能力を磨き続けてきた。「カテゴリー化」はそうした生存の基盤となる認知システムに関わっている。
ゆえに、我々の日常的な思考や判断のあり方も、実は「カテゴリー化」型の認知システムによって規定されている可能性があるということだ。そう考えると、自分がどんなブランドであるのか、を宣言するよりも先に、自分はどのカテゴリーに所属するのかを宣言するほうが、相手に理解され、話を聞いてもらえる確率が高いことがわかるだろう。
次回は・・・
カテゴリーの議論は今回までになる。次回からは、行動デザインの核心ともいえる「習慣化の行動デザイン」について、改めて考えてみたい。
國田 圭作(くにた けいさく)
嘉悦大学経営経済学部教授、前・博報堂行動デザイン研究所所長、セカンドクリエーション代表。博報堂時代は大手自動車メーカーをはじめ、食品、飲料、化粧品、家電などのマーケティング、商品開発、流通開発などを多数手がける。
著書に『幸せの新しいものさし』(PHP研究所)、『「行動デザイン」の教科書』(すばる舎)。