「行動デザイン」を学ぶ第16回:イノベーションを阻害する要因
前回は、新しい技術や製品の採用が普及していくイノベーションプロセスを解説した。イノベーションは、単なる新技術や新サービスの創出ではなく、そこに「普及」という概念が含まれていることを思い出してほしい。前回を踏まえて、今回はイノベーションを阻害する要因について考えてみたい。
普及について考える
電球(白熱球)を「発明」した人はエジソンの前にも何人もいるが、発電所や送電線といったインフラまで構築できた人はエジソンだけだった。それがなければ「電灯」というイノベーションは実現しえなかったのだ。
パソコン(PC)やスマートフォン(スマホ)の普及も同様だ。PCはハードウエアの技術としてはかなり前から存在していたが、社会で普及するためには、インターネットというインフラの存在は不可欠だった。スマホも、iPhone以前は「ブラックベリー」というキーボード付きの携帯端末が欧米のビジネス層に利用されていたが、iPhoneが世界中で若者層も含めて大ヒットしたのは、すでにiPodで使い慣れていたiTunes Music Store(当時)というサービスの存在が大きい。つまり、誰もが簡単に参加できるコミュニケーションネットワークの存在が普及の鍵だった(電灯線も一種のコミュニケーションネットワークと言えるだろう)。
昨今のデジタル製品の普及は、明らかにS字カーブを描いているように見える。例えば、スマートスピーカーが登場した時にすぐ飛びついた人もいるが、世の中的にはまだまだ前期少数採用者層(アーリーアダプター)止まりではないだろうか。スマートウォッチも、以前よりは明らかに普及し始めている実感はあるが、そもそも腕時計をしない人も増えているので、全体の普及率ではまだマスのレベルには達していないだろう。
ジェフリー・ムーアのキャズム理論を整理する
こうした普及の踊り場感の背景を鋭く分析したのが、ジェフリー・ムーアだ。彼は「キャズム」(深い裂け目)という言い方で、ロジャーズの普及モデルに潜むボトルネックを指摘した。特に「前期少数採用者層(アーリーアダプター)」と「前期多数採用者層(アーリーマジョリティー)」の間に深い断層が存在しているために、多くのイノベーションは「普及率16%の壁」を越えることができず、裂け目に転落していくというのだ。
ちなみに、ムーアが研究したのは、ハイテク業界のB2B(事業者間)取引であり、ムーアに言わせると、B2Cの一般消費財ではキャズムを越えることがさらに困難であるという。スマートスピーカーやスマートウォッチがキャズムを越えられるかどうか、今後趨勢を見守っていく必要があるだろう。ムーアのキャズム理論では、ロジャーズモデルとは違う名称が付けられているので、まとめて表にしてみた。
出典:『キャズム Ver.2』(ジェフリー・ムーア著、川又政治訳/翔泳社刊・2014年)
キャズム理論の対象がB2B取引の主体、つまり企業人であることに注意してほしい。つまり、もしかすると会社の中では非常にタフな交渉相手として知られる購買部の課長(「実利主義者」に分類される)が、休日にゴルフをする時はいち早くニューモデルを試してみる「テッキー」(技術マニア)である可能性はなくはないだろう。つまり、ロジャーズモデルやキャズム理論における顧客層の区分は、ある個人の絶対的なパーソナリティというよりも、特定のジャンルにおけるその人の経験値や情報量、それに伴うリスク感などによって決まっている、ということだ。さて、あなた自身は、また、あなたの上司や取引先の担当者は、企業人としてどの層に分類されるだろうか。
注意したい実利主義者との向き合い方
ムーアの「キャズム」モデルで、イノベーションの最大のボトルネック(障壁)となるのが、「実利主義者」層である。彼らは極めてリアリストであり、夢に共感して財布を開いたりすることは絶対にない。自分たちが預かっている会社のお金を一円たりとも無駄にしないことを最優先するので、不確実性(つまりリスク)を嫌い、それを最小化することが行動原理となる。典型的なのが「その製品(あるいはサービス)はすでにどこが採用していますか?」という質問だろう。
もしあなたが「実利主義者」の顧客と向き合っているなら、まず端的に導入実績の紹介から入った方がいい。自社の製品/サービスに思い入れがあると、つい、どんなに優れたサービスであるか、今までにない画期的な技術であるか、というプレゼンテーションから始めがちだが、「実利主義者」にとっては「画期的な技術や製品かどうか」を判断する基準は「新しさ」ではなく、業界内の大手企業の採用実績なのだ。「それなら大丈夫ですね」と安心した上で、そこから初めて具体的な価格交渉(品質スペックに対する価格の割安・割高の評価)に進むのだ。
実利主義者にも一理あり
「ファーストペンギン」という言葉は聞いたことがあるだろう。氷山のペンギンの群れの中で、天敵が潜んでいるかもしれない海中に最初に飛び込むリスクテイカーがいると、安心して他のペンギンも次々と飛び込むという一種のたとえ話(実際には意思を持って飛び込んでいるわけではなく、弱いペンギンが周りに押されて泣く泣く海に落ちているらしい)だが、「実利主義者」はファーストペンギンの真逆の存在だ。不確実性の高い新製品や新技術に伴うリスクをなるべく取らないことが、企業の利益確保につながると信じているからだ。
新しい技術の可能性を信じる側からは、彼らの「前例主義」的な態度にはイライラするかもしれないが、実はその態度には、一理ある。それは、その製品やサービスに関連したサプライヤーやサービサーの存在や集積への期待だ。「外部ネットワーク効果」とも言われるが、利用者が増えるほど、自社単体の提供価値を超えた外部経済効果が派生していく。電気自動車が増えると充電スタンドサービスも増えていく、アンドロイド端末が増えるとアンドロイド対応のアプリ提供事業者が増える、といったことだ。
ある製品や規格の採用者が多いほど、あるいは販売量の多い大手企業が採用しているほど、周辺機器や保守サービスを提供する業者の数が増え、ネットワーク全体の品質が高まり取引コストも低下する。「実利主義者」はその状態を待っているのだ。それがないと、採用した後の運用でさまざまなトラブルに直面した時に自分たちで1つひとつ解決しなくてはならなくなる。だから、もしその手前の状況で自社商品を売り込もうとしたら、全国レベルでのサポートネットワークやトラブル対応のコールセンターなどを先に構築し、「実利主義者」の不安を緩和する必要があるのだ。
実利主義者とは、保守派と似て非なる存在
ムーアによれば、「実利主義者」たちは業界内のコンベンションやセミナーにもよく顔を出し、他社の「実利主義者」たちと情報交換して、売り込み先にいいように主導権を取られないように情報武装をしているという。導入先企業に登壇してもらって、新製品の体験談を話してもらう業界セミナーがよく行われているが、このコンテンツに一番反応するのは「実利主義者」たちだろう。
このように「実利主義者」の「前例(導入実績)主義」にはそれなりの合理性があり、その後ろに控えている「保守派」とは一見似て見えるが、実際は違う動機で意思決定していることに注意してほしい。
次回は・・・
実利主義者と似て非なる存在、「保守派」の攻略法について解説する。
國田 圭作(くにた けいさく)
嘉悦大学経営経済学部教授、前・博報堂行動デザイン研究所所長、セカンドクリエーション代表。博報堂時代は大手自動車メーカーをはじめ、食品、飲料、化粧品、家電などのマーケティング、商品開発、流通開発などを多数手がける。
著書に『幸せの新しいものさし』(PHP研究所)、『「行動デザイン」の教科書』(すばる舎)。